
七宝講堂道場樹 方便化身の浄土なり 十方来生きわもなし 講堂道場礼すべし
皆さまの尊いご懇念が実を結び、新本堂が落成し、慶讃法要をお勤めすることが出来ました。皆さまのご協力に心より感謝申しあげます。
巻頭言にいただいたのは、曇鸞大師さまの『讃阿弥陀仏偈』のお心を讃えられたご和讃の一首です。「講堂」は仏さまがお説法なさる場所。「道場樹」とは仏さまが成仏された場所のことですが、阿弥陀さまが、お浄土の七つの宝で飾られた講堂で法をお説きになるのを聞きに、声聞・縁覚・菩薩の聖衆方が大挙して参集する様壮観である。まさに、あらゆる機根の者達を誰一人もれなく救わんと誓われた阿弥陀さまのお慈悲の手立て(方便)で、本来は、いろもなし かたちもましまさず、ナンマンダブツと「われをたのめ、必ず救う」というお慈悲の働きそのものが阿弥陀さまの本質ではあるが、講堂道場(樹)と目に見える形(化身)をあらわしてくださるお心も有難いことである。いま、その素晴らしい様を眼に浮かべてよろこぶことも尊いことだが、阿弥陀さまの願いを聞き損なってはならぬ。大切にナンマンダブツとお礼を申させて頂こうではないか。
新本堂のお内陣の荘厳は、まさに七宝で飾られた講堂そのもの。
法要に多くの僧侶が出勤するのは、聖衆が参集する様をあらわします。参拝された老若男女、それぞれの笑顔は、まさに聖衆そのもの。あらゆる機根のものを救わんとする阿弥陀さまに導かれて集いました。「十方来生きわもなし」を目の当たりにし、感じることが出来るのが大法要です。
「美しい音色とお勤めの声が堂内に響きわたって、こんなお勤めには初めて出会いました。お勤めっていつもこういうふうなんですか?またお参りしたいです♪」
今回、初めてお寺にお参りしました、という方の言葉は大変うれしく、心の中でガッツポーズをしていたのですが、「いや~、いつもという訳ではないです。今回は特別というか、でも、奏楽員の方はみえませんが、12月の報恩講には出勤法中もみえて、あ、今回ほどは集まりませんが・・・」と、しどろもどろに、つまらない返答をしてしまったことが思いだされる度に悔やまれます。
まだ、という方。まずは、新本堂にお参り下さい。お一人、お一人の尊いご懇念がなければ実現しませんでした。ご懇志をあげて下さった方、すべてにお参り頂きたいです。
死んでからお浄土に参って阿弥陀さまにお会いするのではない。いま、すでに、ここに、ナンマンダブツと、阿弥陀さまは私に寄り添ってくださっているのだ、と親鸞聖人はよろこばれました。
本堂でお念仏申すと、より、その事が実感して頂けると思います。称 名